2008年11月12日水曜日

心の曇り

随処に主と作れば 立処皆な真なり。
その場その場で こちらがライトを向けて 外の世界をつかをだ時
こちらが掴んだ物が真である… 外の物に真は無い。
外の物を追いかけても 騙されるだけだ。
何処に行っても自分を失ってはいけないよ〜!
東京があるから 行くのでは無い。 自分が行って東京を発見するのだ しかし この自分は自我があっては駄目だ 透明なレンズでいかんと駄目だ。
レンズに色があれば色がつき 曇りがあれば写真も曇る。
透明な心で こちらから ライトを当てた時 真は掴める その透明な心で世界を受け入れる人生は毎日が真実である。

透明な心とは 自分と他人の区別の無い心とある 何処に行ってもこれが 自分の世界だと思えば 大事にせずには いられない。 何処に行っても この世界は自分の家で その中に暮らす人はみな自分の子供 動物も虫も同じで 自分の子供だ
これが随処に主を作る事だ。 そう言う愛情と責任がないといけない…。 自分の心の尊さを忘れて 人の話を聞けば 良いも悪いもみな心に入れる自分の心の拠り所を持って 相手が 仏か魔か 本物か偽物か 凡か聖かハッキリと見極めなければならん…。
魔と仏は 二つの物ではない お互いの心に仏魔は同居している
仏性を求めて魔を捨てる そんな努力はせんで良い
仏魔同居でどちらにも捕らわれない。
魔がある 煩悩がある がそれに捕らわれない 仏もあるが仏に捕らわれない、そう言う境地になれる事…。
魔とはフッとわく疑いの事…。
魔は 自分の心にある 全ての存在はそのものだけで独立しているのではない 森羅万象 全てが仮の姿で 実在する物は無い 法界に透入して 仏に出会えば仏をとき 祖に逢うては祖をとき餓鬼に逢うては餓鬼をとく この世界に出て 仏に逢うては仏にふさわしい挨拶を 祖に逢うては祖にふさわしい挨拶を餓鬼に逢うては餓鬼にふさわしい挨拶を 自由自在に説得して歩く。この綺麗な心を離れる事なく 正念相続 とある
動かない心を先ず持つ事…! これが一番! ありがたい!ありがたい!