知らせを聞いて 胸がつまった。
昨日も そのお宅の掃除をさてきたのだけど 掃除の最中に (もしかしたらだめかも…)と思ったけど 当たってしまった。 お母さんからの電話を 聞きながら 方針状態になった。
この亡くなった 長男さんに私は 紹介されて 彼の母親の経営する店で アルバイトをすることになった。 かれこれ 24年も前の事だけど それから ずっと掃除のお客さんでもあり 大阪のお兄ちゃんだった。
先週 寝込んでいる姿が 最後の姿だった。あっけないものだ…。
先週 見た時は まだこれから近所の広いマンションに 来月引越しも予定していたし 両親とも まだまだ これから 別荘も手にいれるで 今のままで終われへん! と言ってたけど 死んでしもうたら 何にも自分で出来ないよなぁ〜
あれは 最後の自分への叱咤だったんだ。
所有しているビルの土地を 今年やっと手に入れた、次は 子供が増えて 手狭になった自宅の引越だった 部屋うちのイメージやら 両親に話していたのに。
あの 兄ちゃんが 死ぬなんて 誰も予想してなかったに違いない。
彼の死は いろんな事を 教えてくれた
ビルのオーナーであっても、父親であっても 死んでしまったら 触れる事も出来ないのだと言う事を あの主人のいなくなったビルは お兄ちゃんの思いを 実現させる事は 出来ない お金があっても 物があっても 身体がなければ どうしようもない事を知った。
私も母も どんなに過酷な時も 堪えれる身体がある事が 本当に嬉しいと想った。
そして その晩 この家が今までで1番 平和な暖かい場所になった
きっと 長男は最後に バラバラなこの親族を 長男としてまとめる 集める役目を 果たした気がした。
夕方 あちらこちらの親類が 一人づつ 集まってきた 生気の抜けた母を1番に 気遣う
少しづつ 意識を取り戻す母を私はみた
いろんな事があった
私の 脳裏に今までの事がフィルムのように流れた
思いやりと 支え合う気持ちと しっかり残された物を守り育む気持ちで 満たされていた
安心して 私もその場を離れた。
実は この日記は昨日から 繋がっている。
時が 繋がって物語のように流れているからだ。
今朝 また不思議な事に 部屋に釣ってある 真鍮の風鈴が 風もないのに 間を空けてなった。
朝風呂に入って いた時だった。
風鈴といっても 鈴の下に着いている 風受けの 短冊が 無くなっているため、 鈴を鳴らすには 鈴自体を 揺らさないと鳴らないのに…!
四回 鳴った、長男が挨拶に来たと想った。
貴方に 昔憧れていた事を初めて つげた。
お疲れさま! 貴方に会えて 良かった!って… そして ありがとう〜って 手を合わせた。
時は 止まっていない
いつも 過去を造り出して止まらない。
人も物も 一瞬にして変わってしまう
そして 人の心も。
でも 時のように思いは 変わらず 繋がっていることを 感じている
長男の急死は 私もショッキングだった。
だけど 彼が死なないと解らないくらい 曇った魂だった事を 私は知った、 無くなってわかっても 遅いんだ。
長男の笑った顔が 浮かんだ。